英語は難しくない!大人のための最短英語学習法

忙しい大人のための効率的な英語学習法について書いていきます。

シュリーマンの短期間での外国語習得法は私達でも実践可能なのか?

  さて、ここまでシュリーマンの外国語習得法を見てきました。

その実体は、巷で言われているほど摩訶不思議な方法ではありませんでした。
誰でも取り組める、そしてシュリーマンと同様に短期間で外国語を習得できる可能性のある学習システムでした。

しかし、やはりとてつもない努力と忍耐を必要とする過酷な外国語習得法であることは否めません。

この外国語習得法は、本当にシュリーマンにしか使いこなすことのできない特別な方法なのでしょうか。

いいえ、私たちはこの学習方法を使って、多くの外国語を習得した人物を挙げることができます。

シュリーマン夫人ソフィアが、その第一の実践者です。

 


“彼女のドイツ語の練習帳に見える次のような手紙を夫に書いている――《(中略)わたし にもうドイツ語をやる気がないとでも、あなたは思っていらっしゃるのでしょうか。七ページも 書いて、それをマダム・クリンミフロスに見てもらいながら自分で訂正しなくてはいけないと おっしゃいますが、そんなことは不可能です。わたしは毎晩、前の日に訂正してもらった ぶんを一〇ページおぼえ、それから、また何か新しい文章をいくらか書いていますが、 あなたのおっしゃるほどたくさんは、とうていわたしにはできません(後略)》”
(『発掘者の生涯』pp125-126)

“ドイツ語の手紙-―《わが親愛なる妻よ! 何よりもまずそなたがドイツ語を習得された ことに対し、お祝いを述べます。実際、そなたのなしとげたことは、驚嘆すべきことだ。という のは、ほかの人が一年かかってもできないようなことを、そなたは三か月でしあげたから です。”
(『発掘者の生涯』p131)

 

これを見ると、シュリーマンが英語を覚えた時に比べ、覚えるページ数は半分、そして習得期間は半分になっています。
といっても、これは後の語学習得にシュリーマンが費やした6週間のちょうど倍にあたります。

そうすると、シュリーマンの外国語習得法は、はじめ1日20ページの暗記で6ヵ月費やしていたものが、同じく1日20ページの暗記でも6週間でこなせるように短縮されたのかもしれません。

もっとも、本によって1ページの文章量は異なりますから、あくまで目安にしか過ぎません。

いずれにせよ、ソフィア夫人は3ヵ月でドイツ語を仕上げたことになります。

また、彼女はシュリーマンと共にフランスに長く居住し、イギリスでは英語でのスピーチをしたことも知られています。

彼女はかつてシュリーマンの語学教師であった聖職者が、『「頭がよく」そして可能ならば「美しい」ギリシア女性』というシュリーマンの要望にしたがって選んだ人物です。
ある程度優秀な頭脳の持ち主であったのは間違いありません。

そしてその子供たちも、マルチリンガルになるよう育てられたようです。

 


“食卓でどこの国のことばを使うことにするかは、食事まえにきめることになっていた。子供 たちも会話にまじることをゆるされたが、きめられた国語とちがったことばをひとことでもしゃ べると、食卓に置いてある貯金箱に一〇レプタ(ギリシアの少額貨幣。)いれなければなら なかった。年に一度、この貯金箱をあけてみる儀式があって、お金は子供たちにわけ与え られた。”

(『発掘者の生涯』p208)

“子供たちが彼の外国語のうちの少なくともいくつかに堪能になるように、食事の席では 毎回別の外国語を使うと定められ、何語にするかは食事の始まる前に決められた。もし うっかりしてギリシア語を使うと罰金で、テーブルの中央に置かれた箱にコインを入れな ければならなかった。この箱は時折開けられて、中のお金は分配された。”

(『トロイアの秘宝』p276)

 

同じことの記述ですが、このように子供たちに対しても日常的に外国語習得の訓練がなされていたようです。

シュリーマンは、自分の外国語習得法が自分の家族だけではなく、一般にも通用する優れたやり方だと考えていたようです。

 

“(前略)最も情熱を傾けている大義である外国語学習に関する活動をすることにした。

合衆国の古典学者の最も権威ある団体、アメリカ文献学協会の会合がニューョークから そう遠くないポーキプシーで開催されることになっていた。シュリーマンは論文を執筆し、 これがニューヨーク大学総長ホワード・クロスビーによって代読された。(中略)

カール五世がフランソワ一世に語った言葉――「新しい言葉を獲得する度に新しい人生 が始まる」――を引用し、一六歳で社会に出る少年は既に英語、ドイツ語、フランス語、 現代ギリシア語、古代ギリシア語、ラテン語に堪能で、少なくとも頭の中に二万の外国語の 単語が詰まっているべきだと提案した。これを実行するには、彼自身の例に倣えば良く、 一時期には一つの言語だけを徹底的に学び、少なくとも一週に一五時限の練習をする。

ギリシア語の場合には、「好奇心を最大限に覚醒させておくために」、少年は一時限毎に ホメロス、ソフォクレス、アリストファネス、ピンダロスなどの詩文を一〇〇行以上学ばな ければならない。古代ギリシア語も現代語と同じように教えるべきであるというのが彼の 主張だった――その効果の証拠は彼自身であった。シュリーマン自身は二二ヵ国語を 習得していて、言語学習に向いている人がいるというような考えは決して受け入れようとは せず、彼にとっては、大抵のことがそうであるように、要は意志の力と勤勉の問題でしか なかった。(後略)”
(『トロイアの秘宝』pp134-135)

 

これによると、16歳で6ヵ国語をマスターし、合計2万語の外国語の単語を知っているべきだというのです。

6ヵ国語で2万語とすると、1言語あたり3000強の語彙数になります。
シュリーマンにしては少ない気もしますが、16歳は日本では中学卒業程度の子供にあたりますから、その程度でよいとしたのでしょう。

ただ、古代ギリシア語はシュリーマンのこだわりで、実用性のない言語の習得を勧めるのは教養以外に意味がありません。

これを実践するには、1時期に1言語だけに取り組み、最低1週間で15時間つまり平日5日間だけなら1日3時間を語学にあてるべきだというのです。

ともかく、シュリーマンは言語学習に向き不向きはなく、誰でもこの程度は習得できると考えていたわけです。

ちなみにこれはアメリカ人に向けて書かれた論文で、ソフィアと再婚する前の話になります。

まだトロイアの発掘以前で、敢えて言語の専門家としての箔付けを探すとすれば、ロストック大学での博士号くらいしかありませんでした。

この博士号は、複数言語で書かれた考古学研究論文と旅行記、履歴書を提出して取得したものですが、専門分野が何かはわかりません。
伝記中でシュリーマンが「哲学博士」という署名を使っている記述がありますが、ドイツの文系分野の博士号 D.Phil.に当てた訳語かもしれません。

シュリーマンは考古学での実績を出す以前に、(おそらく学位と)実力で語学の専門家としてある程度の評価を得ていたようです。