シュリーマンが利用した言語習得のための学習素材について分析してみたい
シュリーマンが利用した学習素材について見ていきましょう。
シュリーマンの外国語習得法といえば、本を2冊ずつ丸暗記していったことが有名です。
しかし、私たちはここまでの分析で、その他の学習素材についてもいくつか明らかにしてきました。
一度ここでまとめておきましょう。
1.辞書
2.文法書
3.ネイティブの教師
4.本2冊
シュリーマンの時代、言語によっては辞書も文法書もなかなか手に入らないという事情がありました。
そのため、必ずしも文法書などを手に入れられたわけではないようです。
それが原因かわかりませんが、『発掘者の生涯』にも、シュリーマンの遺品に10ヵ国語以上の手作りの辞書があったという記述があります。
また、ロシア語の時のように、先生が見つからないこともあったはずです。
しかし、条件が許せば、辞書の中から成人ネイティブが知っているべき単語数を選出し、最低限の文法事項を頭に入れ、ネイティブの教師と一緒に先ほどのようなやり方で学習を進めました。
そして、ある程度の理解と記憶が進んだところで、全てを暗誦できるまで本を丸暗記したのです。
古代ギリシア語の場合は、専らホメロスの手になる『イリアス』と『オデュッセイア』でしたが、大概の外国語では小説などの散文を選んで覚えていたようです。
“一日に二〇頁を暗記しながら、まずゴールドスミスの『ウェークフィールドの牧師』、次に ウォルター・スコットの『アイヴァンホー』と進み、六ヵ月で「英語を徹底的に」習得した。
次は フランス語で、これについてはフェヌロンの『テレマコスの冒険』とベルナルダン・ド・サソ= ピエールの『ポールとヴィルジュー』を暗記。
”(『トロイアの秘宝』p38)
なぜ散文を、しかもどちらかと言えば当時のベストセラーを選んだのかは不明です。
物語はイメージに残りやすいため、記憶術においても物語法というのがあるくらいですから、丸暗記しやすいものとして選んだ可能性があります。
また、文語(書き言葉)と口語(話し言葉)の双方を含んでいるため、仕事での対話や手紙などの通信文を想定していたシュリーマンにとって好都合であったとも言えます。
その点で、あまり古典的でないものを選んだのもうなずけます。
それから、もしある言語で覚えた小説の翻訳がある場合、新しい外国語でもできるだけその小説を選んでいたようです。
同じ物語の本を使えば、ストーリーは同じですから覚えることが少なくてすみますし、また比較して理解を高める効能もあるはずです。
また、なぜ1冊ではなく2冊、違う作家の本なのでしょうか。
実際に読むと、いやざっと見てみるだけでもわかるのですが、彼が英語の学習に使った『ウェークフィールドの牧師』と『アイヴァンホー』では、文体も雰囲気も進行も全く異なります。
作家が違いますから当たり前ですが、それでも違う作家の文章を覚えるメリットが見えてきます。
2冊の本からできるだけ多くの人物の異なる会話を頭に入れ、異なる作家の使う文体を身につけることができるのです。
ところで、これら2冊がそれぞれどのくらいの文章量があるかは気になるところです。
『ウェークフィールドの牧師』と『アイヴァンホー』は、Oxford World's Classics 版だとそれぞれ 224ページ、622 ページあります。
洋書はサイズに統一性がなく、またペーパーバックが生まれたのは1931年なので、シュリーマンの使った本と同じというわけにはいかないでしょう。
ただ、大きく違うということもありませんから、十分参考になります。
といっても、洋書を読んだことがない方もいるでしょうから、日本語の本だとどうかも話しておきましょう。
『アイヴァンホー』の日本語訳が、菊池武一訳の岩波文庫上下2冊組であるのですが、注釈などを除き本文のみで合計 812 ページにもなりました。
厚みで表すと、2センチ程度の本が2冊分、合計4センチです。
『ウェークフィールドの牧師』の訳本は入手困難で確認していないのですが、その半分以下、1冊で2センチに満たない程度の厚みだと思います。
通常、英語の本を日本語訳すると文章量が増えるらしいので、原書はもう少し薄いと想像してください。
私はこの『アイヴァンホー』の日本語訳を一通りじっくりと読んでみました。
12世紀末のイギリスを舞台にした冒険小説で、話自体はおもしろく読めました。
山手樹一郎の『桃太郎侍』と設定が似ていることもあり、個人的にも親しみが持てました。
それはそれとして、日本語で読むだけでも相当な時間がかかりました。
まさかこれを全部覚えた人がいるなどとは絶対に思いつきもしません。
無論、自分で覚えようなどとは夢にも思いませんでした。